子育ち観測

我が家のホームエデュケーション徒然日記

幼稚園を中退しました!

我が家の末っ子、四男坊が今年の9月末に幼稚園を中退した。


入園して1学期は休みがちでありつつも何となく通っていたけど、2学期になり運動会、本人が納得しないままに連れて行って参加させたら、それからぱったり行きたがらなくなりまして。

3学期になり、兄たちも「不登校」だし、幼稚園も無理に行かなくても良いのでは?と思って「やめちゃおうよ」とパパに相談したが「幼稚園くらいは出とかないと!!」って、どんな理論やねん!!

行く気配のない幼稚園に在籍だけしていることにモヤモヤと3学期を過ごしていたら、3月の終わりに出会いがあり、新学期から転園することに。自由時間をたっぷり取っていて先生方は子供たちと全力で遊んでくれて、子供たちの意思をとても尊重してくれる幼稚園で、こんな幼稚園あったんだ~と感激しました。

とはいえ、幼稚園を変えても毎日楽しみに登園とはいかずでしたが、休みがちではありつつもそれなりに1年間通えました。あともう一年、行ける時に行って楽しんで来れればよいなと思っていたけど、夏休み明けにまた行き渋りが激しくなってしまって。

年長は”幼稚園の集大成”ってことで”クラスみんなで取り組む行事”が多くなり、時々登園ではせっかく登園しても浦島太郎君になってしまうので、益々行けない状況があり、これは無理だわ!と。

パパにも再度伝えて、なんとか退園することに了解もらいました。

そして、9月末に幼稚園中退!晴れて自由の身になった四男なのでした。

専業主婦が政治を語って何が悪い⁉

 

政治って大切ですよね?

政治で決まったことが、私たち国民の生活に降りかかってくるわけですから。

 

といって、私が政治にめっちゃ詳しいわけではないけど、大切な家族を守るためにYouTubeや、購読中の「月刊三橋」などを見て、今何が起きているかチェックはしてます。

そこで得た情報から、これはおかしい!と思うことや感じたことを旦那にも知って欲しくて話したりするんだけど、旦那は政治の話はタブーとでもいうようにスルーしたり、もしくは「そんなこと言ってても仕方ないんだからやめて!」と怪訝な顔します。

昨日なんて「ママは仕事も行ってないのに何が分かるって言うんだよ。」なんて言われて。

からしたら「政治に無関心な君のほうこそ、今の権力者たちの思いのツボなんだぞ!」って思うのだが。

 

という私も、ずーっと政治なんてチンプンカンプンでした。

関心を持ちだしたのは2年ちょっと前くらいの話。

 

若いころは政治には全く関心はなく、選挙すら行ってなかった。

子どもが出来て、親になったことだし選挙くらい行かないと、と思って投票するようになった。

投票するようにはなったけど、誰に入れてよいか分からず、雰囲気で選んだり、お願いされた人に投票したりしてた。

そのうち、自分でしっかり選んで投票したい!と思うようになって、テレビの政治討論番組とか見たりしてみたけど、やっぱりチンプンカンプンで「頭が悪い私には、政治は理解できないんだ。」と、諦めた。

 

そして2年ちょっと前のある日、昔から政治通の私の父から、山本太郎さんの街頭演説がとても分かりやすいと勧められた。父は選挙のたびに「いい人がいないんだよなー」と言いつつも、妥協して誰かを選び投票している感じで、ひとりの政治家を褒めるのは珍しかった。

 

YouTube山本太郎さんの街頭演説を聞いて、初めて政治って面白いって感じたし、日本ってこんなにヤバイとこまで来ちゃってんだーっという衝撃、でも、選挙権を放棄してしまっている約50%の国民とゆるく繋がって、選挙でまともな政治家を多数送りこめれば世の中変えられるんだ!っていうワクワク感を頂きました。

 

今の政治って、知れば知るほど「今だけ、金だけ、自分だけ」の政治が行われていて、ほんっと!頭に来ます。

そんな阿漕な政治だからこそ、一般ピープルの私たちが政治に無関心でいることの方が都合がよい。

 

仕事してない専業主婦だって、もろに政治の影響受けてますよね?
子育て、教育、食の安全にかかわる事、家計に関わる事、消費税 ‥‥‥

 

当たり前だと思ってることは本当にあり前なの?

テレビや新聞の言ってることは本当に正しいの?

 

山本太郎さんも言ってました

「政治は信じるものではない。疑ってかからないと。」

国のオーナー(主権者)は私たち!

国のために、私たち国民のために、正しい政治が行われているかチェックし、おかしいと思った事にはざわついていきましょう!!

自由になりたければ、子ども達に自由を与えるべし

教育って大切ですね。

将来の社会を担っていく子ども達の価値観を決めてしまうものでもあるから。

 

私、もともと「子育て」には興味があって育児本とかよく読んでいたけど、「教育」について考えたことなかったな。テレビとかで「学校の先生たちの労働環境はブラックである」とか聞いたことあったけど、「先生方も大変なんだなー」くらいにしか思わなかった。

わが子を預けているのに、今思えばとっても不思議なことだけど、自分事として考えられなかった。

行って当たり前と思っていた学校へ子ども達が行かなくなって、色々知っていくうちに固定観念がぱっかり外れて、当たり前が当たり前でなかったことに気づきました。

 

先生たちが日々雑務に追われ、学習指導要領の進行に追われ、子ども達とゆっくり遊んだり、対話する時間が無いような働き方をさせられているというのは、これは「教育」をする上で非常に大変な問題だって今は分かります。

情熱があり、真面目な先生ほど精神を病んでしまう学校現場。

そんな環境の中で多様な子どもたちにどんな教育をしようとしているのか。

 

昨年度から全国的に始まった「キャリアパスポート」

あれもどうなんでしょうね?就職について現実味が出てくる高校生くらいからだったら必要なこともあるかもしれない。でも、小中学校くらいの子ども達にキャリア教育って必要かな?

 

文部科学省によると「児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し、それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育ととらえ、端的には、児童生徒一人一人の勤労観、職業観を育てる教育とする

 

ってことらしいけど。

「態度」って何?
「勤労観、職業観」って何?


気になって調べてみたけど、もともと厚生労働省が「ジョブ・カード制度」っていうのをやってたらしいげど、あまり浸透しなかったので、「キャリアパスポート」として学生段階から活用してはどうかという話になったらしい。

このくだりだと、対象は就職を控える、高校生・大学生くらいを想定していたのかな?ってかんじだけどね。それが小中学生まで対象になるなんて、なぜ?

 

なんか、子どもたちの教育に直接関わっている私たち保護者や学校の先生方は蚊帳の外で、雲の上の机上の議論で将来の日本を作っていく子どもたちの未来を、一部の人たちの思惑で決められてしまっているなーって感じる。

 

「教育」は会議室でやってるんじゃなーい!

現場でやってるんだーーーーー!!!

 

でもこれも、わが子が不登校になって「教育」に関心を持つようになったからこそ感じることで、子どもが普通に問題なく学校へ通っている保護者さんは感じないことかもしれないな。

 

わが子が不登校になると親は不安になるよね~。

私も無理にランドセルを引っ張って連れて行ったこともあったっけなー。カオスだー。

私たち大人も学校教育の中で、当たり前という概念を教育されてしまってきているので、思考停止してしまっているのかもしれない。

 

でも、そこで色々調べたり、経験者の話を聞いたりするうちに考える。

子どもが行き渋ったり、不登校になると子どもを学校や社会の概念に適応させようとするけど、そもそも学校や今の社会が正解なの?

 

子ども達は、特に小さいうちは発達の違いが大きいし、そもそもの特性、興味・関心みんなバラバラ。それぞれが違う宝物の原石だから、それぞれにあった方法で磨いていくのが良いはずなのに、国が定めたやり方で同じように磨こうとする。合わない子は光れない。

 

子ども達がもっと自由に遊んだり、学んだり、休んだりできる教育を受けることが出来たら、社会全体もそんな世の中になると思う。

実際に、子どもたちを自由にしたら、私自身の心も軽くなったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもが学校へ行かないと不安ですか?

2020年1月、冬休み明けからうちの長男(当時小4)、次男(当時小2)は不登校になりました。年少から行き渋りのあった三男(当時年長)も、兄たちが学校へ行ってないことが分かると不登園になりました。「引っ張ってでも連れて行かないとダメだ!」「楽な方へ逃げるようになる!」という周りの声や空気に押されて無理やり登校させた時もありました。でも、学校へ行きたくないのに行かされる日々の中、この子達は自分らしく生きていけるのか逆に不安になりました。

冬休みが開けて始業式の朝、長男も次男も布団から出て来ませんでした。私は「行きたくないなら行かなくていいよ。」と子ども達に伝えました。

そうは言ってしまったものの、本当に学校へ行かなくて大丈夫なのかネットやら図書館やらで「学校へ行かなくて大丈夫な理由」を探しまくりましたー!そして見つけた「ホームエデュケーション」という言葉。もうキラッキラに輝いてました( ´ ▽ ` )

 

現在は末っ子四男も「幼稚園、面白くない!」と不登園。毎日、それぞれ興味の赴くままに自分らしく過ごしています。そんな様子を観察するのが母の楽しみです♪

 

 

学校教育という列車を途中下車した子供たちの未来は…

6歳になると学校教育という列車に乗せられ、同じ景色を見、同じ速さで、みーんな同じ教育を受けるようになります。それはまんべんなく、効率的に様々なことを学んで行ける列車です。この列車に乗って行けば確実に教育の終点へ辿り着けることでしょう。

子供たちは楽しくても、そうでなくても、終点までその列車の中で頑張ります。つらい事が多々あっても、その列車から降りようとすれば「逃げちゃいけません。」と大人たちに引き戻されます。大人は「子供たちはこの列車に乗っていれば安心。」だと思っているから。だって、大人たちも同じように言われて、そう思い込んで生きてきたのですから。誰一人取り残さないようにこの安全な列車に子供たちを乗せようとします。

しかし、列車の速さについていけない子、みんなでいるのが苦手な子、狭い列車の中で時間を縛られるのに不満を持った子などなど、頑張って、我慢して、疲れ果ててしまった子供たちが次々に列車から転げ落ちて行くのです。

転げ落ちた子供の保護者は焦ります。落ちた時は真夜中で先が何も見えないから、とてつもない不安に陥ります。だけど、月が出て、星が出て、そして夜が明けていきます。太陽が昇りそこにあるのは大草原。先が見えないどころか地平線まで見渡せる大草原が広がっているのです。

子供たちは線路を離れ、興味の赴くままに散り散りに、それぞれのペースで歩み始めます。遠回りをしても、みんなの到着する地へ辿り着くこともできるし、何なら全く別の地へ辿り着くこともできるのです。

色々な事を問うて、自らの答えを探し出す自分探しの旅の始まりです。これはもう哲学!それはそれはかけがえのない大冒険になることでしょうね。

どうか、自らの意思で列車を降りた子供たちを、列車に追いつかせようとして線路に引きずり戻すのはやめてほしい。大人たちの固定観念で、再び真っ暗闇のトンネルのなかを歩かせるのはやめてほしい。

どうかどうか、大草原を彼らの思うがままに大冒険させてあげてほしいと切に願います。